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2006年11月13日 (月)

経済成長はもういらない 佐藤典司著

副題:ゼロ成長でも幸せな国
私の評価 ◎ 2006年11月読書

「経済成長はなんだろうか。それはスポーツジムにあるランニングベルトのようなものではないか。駆け出せば、目の前のメーターのデジタル表示は増え続ける。だが、実際はそこに突っ立ったままだ。せわしなく足を動かしても、目指すところは、蜃気楼のようにかなたに見え隠れするだけで、今日も同じところを巡っている。 真の成長とは、もっと確かのものを手に入れることではないだろうか。」

このフレーズには、筆者がこの本で言いたいことが凝縮されていると思います。そして、私自身も本当にそう感じています。

日本はもう随分豊かになりました。物質的には世界一と言っていいと思います。しかし、人として生きることに対して豊かになったかというと、必ずしもそうではありません。経済成長によって、我々は「文化」「自然」「美」「時間」を捨ててきたのではないでしょうか。

子供の頃、誰しも野山を駆け回り、日が暮れるまで皆で遊んだものだが、今の子供にはそんな余裕すらない。
毎日、8時9時まで働き、家族とゆっくりと過ごす時間もない。
本当にこんな社会でいいのでしょうか?

「知識社会」という言葉をご存知でしょうか。著者はこの社会が20世紀末に起こって、今後100年間は続くという。そして、更なる格差を生む可能性があると。
18世紀に起こった産業革命は「工業化社会」を生み出し、規格化された製品を大量にうみだした。そこでの中核ともいう存在意義は工場にあった。そのためには、巨大な資本、土地、労働力を必要とした。

しかし、現在はこれらを使って「知恵の価値」を体言化する社会に移行している。すなわち工場よりも、商品開発力、アイデアや企画力、デザインや広告力、流通システムの工夫等が価値を生む。 
工業化社会では資本を持てるものと持たざるものを区別したように、知識社会では生産に役立つ知的能力を持つ人とそうでない人をはっきり区別する社会なる。 すなわち新たな格差が生み出される。

我々の子供や孫の時代には、成長の尺度を経済から「人間らしい暮らし」に移行できればいいなと思います。この本ではその兆候も述べられています。

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先日の寒波から、平均的に寒くなりましたね。今日もエアコンを入れています。皆さんも、風邪をひかいないように気をつけてください。

秋になってから紋黄蝶が多くなりました。庭の水撒きで慌てて葉の裏側に避難してましたよ。

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コメント

仰るとおりです。
心の豊かな生活を出来るようになりたい。
私たちが無理でも、次の世代の子供たちは
そうあってほしいと思います。
そのためには社会構造も問題かも知れません
が、近隣の大人からしられることも無くなっ
た今、人間自体をつくる初等教育が鍵を
握っているのでは無いかと感じています。

投稿: かつ | 2006年11月15日 (水) 01時13分

かつさん こんばんは

最近の若い人の仕事に対する考え方は、『心の豊かな生活』への序章かもしれませんね。
いやな仕事はすぐ止める、したい仕事が見つかるまでフリーターでいる。 これはもう新しい価値観が出てきているのだと思います。

彼等が、社会を引っ張る年代になる頃には、「効率中心」の我々の世代とは違う世界になるかもしれません。

投稿: かつさんへ | 2006年11月16日 (木) 03時24分

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